しかし、禁欲的プロテスタンティズムが与えた影響は、それだけではない。禁欲的プロテスタンティズムは、「利潤の肯定」と「利潤の追求の正当化」を生み出した。つまり、金儲けに正当性を与えたのである。 この禁欲的な生活のスタイルは、すでに見たとおり、神の意志に合わせて全存在を合理的に形成するということを意味した。しかも、この禁欲はもはやさて、プロテスタンティズムの教義によれば、労働とは神の栄光のためになされねばならない天命である。神の意志を地上で成し遂げんとする努力、これが職業労働だ、と教徒たちは考えた。 そのためにはかくして信徒たちは職業生活のうちで禁欲的な生活を営む必要に迫られた。そうした態度の規範は聖書、とくに旧約聖書の律法に求められた。彼らの合理的な性格はそこに由来している。こうしたカルヴィニズムの生活態度は、後期ピューリタンでは「現世生活全体のキリスト教化」にまで押し進められた。 しかし、最初から利潤の追求を目的とするのではなく、行動的禁欲をもって天職に勤勉に励み、その「結果として」利潤を得るのであれば、その利潤は、安くて良質な商品やサービスを人々に提供したという「隣人愛」の実践の結果であり、その労働が神の御心に適っている証であり、救済を確信させる証である。このようにして、皮肉なことに、最も金儲けに否定的な禁欲的な宗教が、金儲けを積極的に肯定する論理と近代資本主義を生み出したのである。 これに対して、ルターは、本当にそうなのか、と考えた。ルターは「内的な信仰のみが人間を義(正しい)とする」という確信を抱いており、免罪符が罪を償うとはどうしても納得できなかったのだ。 また、あまりに当たり前なのであえて指摘されることはほとんどないが、複式簿記のような会計技術や株式の制度がなければ、資本主義経済がここまで大きくなることはなかったはずだ。資本主義経済は、さまざまな要素が絡んだ複合的な営みだ。資本主義に単一の原因があると考えるのは表象的であり、概念的ではない。 池上さんが世界を変えた古典として紹介した本。 第三回は1904年に発表されたマックス・ウェーバー著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」 。 池上さんが解説した内容を紹介します。
このようにして、ルッターの場合、天職概念は結局伝統主義を脱するにいたらなかった。 金儲けに正当性が与えられない社会では、金儲けは当然抑制され、近代資本主義社会へと発展することはないはずである。 それまでの人類の労働のあり方は、南欧のカトリック圏(非プロテスタント圏)に見られるように、日が昇ると働き始め、仲間とおしゃべりなどをしながら適当に働き、昼には長い昼食時間をとり、午後には昼寝や間食の時間をとり(しかし、プロテスタンティズムは、日常生活の全てを信仰と労働に捧げる、「世俗社会の修道院化」によって、人類の中に眠っていた莫大な生産力を引き出したのであった。 近代資本主義は、ただ合理的国家においてのみ育つのである。それは、専門的官僚制と合理的法律を基礎として育つものである。
本書は、経済が宗教を規定するというマルクスの「上部-下部構造」論に対する反論としての意義をもっていた。財の交換が近代的資本主義の成立に直結するわけではない、だが、私自身が最初読み間違えていた点だが、念のために言うと、ヴェーバーは、プロテスタンティズムの精神がいまある資本主義体制を支えていると主張しているわけではない。しかも、それはあくまで諸要素のうちのもちろん、現在の資本主義が存続しうるための条件として、その個々の担い手たち、たとえば近代資本主義的経営の企業家や労働者たちがそうした倫理的原則を主体的に習得していなければならぬ、ということでもない。今日の資本主義的経済組織は既成の巨大な秩序界であって、個々人は生まれながらにしてその中に入りこむ … 誰であれ市場と関連をもつかぎり、この秩序界は彼の経済行為に対して一定の規範を押しつける。 いったん資本主義体制が成立してしまった以上、個々人はただ資本主義の制度のうちへと参加するにすぎず(もちろん他の選択肢もありうるが)、プロテスタンティズムの倫理を身につけておく必要はない。その意味で、プロテスタンティズムの倫理が現在の資本主義を支えているわけではない。そうヴェーバーは言うわけだ。 当時のカトリック教会では、罪の償いを軽減するためと称して「免罪符」が発行されていた。カネを払って免罪符を購入すれば、ローマへ巡礼せずとも罪は許されるという論理だ。 確かに、「プロテスタンティズムの倫理が資本主義の起源だ」と言えば、もうそれ以上考えなくてよくなるので、ラクと言えばラクだ。しかしそうした単純な図式化こそ、ヴェーバーがマルクス主義の唯物史観に対して強く批判していたことは、頭の片隅に置いておくとよいだろう。 キリスト教においては、人生は一度きりであり、仏教のように何度も生まれ変わる(このように、善行を働いても救われるとは限らない。また、自分が救われているかどうかをあらかじめ知ることもできない。そして、もし選ばれていなかったら自分は永遠の地獄に落ち、二度と救済されることがない。このような予定説の恐るべき論理は、人間に恐怖と激しい精神的緊張を強いる。そして、人々は、そこから逃れるために、「神によって救われている人間ならば(因)、神の御心に適うことを行うはずだ(果)」という、因と果が逆転した論理を生み出した。そして、一切の欲望や贅沢や浪費を禁じ、それによって生まれたエネルギーのすべてを、信仰と労働(神が定めた職業、召命、天職、ベルーフ)のみに集中させた。こうして、人々は、そうして、人々は、世俗内において、信仰と労働に禁欲的に励むことによって、社会に貢献した。そして、この世に神の栄光をあらわすことによって、ようやく自分が救われているという確信を持つことができるようになったのである。 今日では、禁欲の精神は—最終的にか否か、誰が知ろう—この鉄の檻から抜け出してしまった。ともかく勝利をとげた資本主義は、機械の基礎の上に立って以来、この支柱をもう必要としない。 ここで、『経済と社会』に所収されている「国家社会学」の議論が参考になる。ヴェーバーはそこで、近代資本主義は専門官僚制と合理的法律をもつ合理的国家でのみ育つと論じていた。 そうした教義を信徒たちはどのように耐え忍んだのか?おそらく彼らは、自分が救われていることを確信するための方法を求めたにちがいない。強い信仰心で確証するよう求めるのは、次第に不可能になっていった。 さきに述べた消費の圧殺とこうした営利の解放とを一つに結びつけてみるならば、その外面的結果はおのずから明らかとなる。すなわち、禁欲的節約強制による資本形成がそれだ。利得したものの消費的使用を阻止することは、まさしく、それの生産的利用を、つまりは投下資本としての使用を促さずにはいなかった。 本書の全体像を再確認すると、こんな感じだ。 ヴェーバーによれば、天職の観念はルターに由来した。世俗の内で義務を遂行すること、これが神の意志にかなうのだと考えられるようになった。しかしルターは、あくまで世俗における労働を道徳的に重視しただけであり、資本主義とその「精神」につながるような見方を打ち出したわけではない。結局ルター自身は伝統主義を脱することはできなかった。そうヴェーバーは言う。 ヴェーバーいわく、近代資本主義の精神が、資本主義における企業に最適な精神的推進力として働いた。企業活動から得られる利潤を享受する代わりに積極的に再投資へと回すプロセスは、利己心の立場からすると不合理のように見える。しかし、実際にそこに携わっている人にとって、これはきわめて合理的なプロセスだったのだ。そうヴェーバーは言う。 ヴェーバーいわく、合理的禁欲と生活態度の合理化をもたらしたカルヴィニズムのエートスが、近代資本主義の原動力として働いた。その意味で、合理性こそが近代資本主義の精神の形式である。そうヴェーバーは考えた。 本書に関して言えば、「ヴェーバーはプロテスタンティズムが資本主義の中心にあると考えた」と解釈されることがとても多い。 「時間は貨幣であることを忘れてはならない。一日で10シリング稼げるのに、遊んだり怠けたりして半日過ごすような人は、実際には6ペンスしか娯楽に使っていないとしても、最低5シリングはドブに捨てているに等しいのだ」。このようにフランクリンは私たちに説く。 ヴェーバーによれば、近代資本主義の精神に影響を及ぼしたのは、カルヴィニズムの「予定説」だ。これは、自分が救済されるかどうかは、生まれる前にすでに神によって決められてしまっているとする教義であり、カルヴァン神学の中心教義であるとされているカルヴィニズムにおいては、神のために人間があるとされる。カルヴァン派信徒は「神の栄光を増すため」に現世で労働を行う。彼らは、神が社会的秩序を実益に役立つように創造したので、実益に役立つ労働はまさに神の意にかなうと考えたのだ。 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(プロテスタンティズムのりんりとしほんしゅぎのせいしん、Die protestantische Ethik und der 'Geist' des Kapitalismus)は、ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーによって1904年~1905年に著された論文。大学教育現場などでは『プロ倫』と略する。 では一体何が近代資本主義を支えているとヴェーバーは考えているのだろうか? 宗教改革運動は、マルティン・ルターらがカトリック教会の改革を求めて起こしたものだ。 キリスト教が資本主義の出発点にあると言われると、かなりのインパクトがある。一瞬逆説的に聞こえるが、ヴェーバーからすればそこには何の逆説もない。宗教は資本主義を否定するに違いないと考えるのは根拠のない憶測だ、というわけだ。 この見方は明らかにヴェーバーの議論を意識したものだが、率直に言って、こうしたヴェーバー解釈は正しくない。というのもヴェーバーは、プロテスタント的な世俗的禁欲は初期の資本形成において一定程度の役割を果たしたが、それと同じく(むしろそれ以上に)重要だったのは、専門官僚制と合理的法律をもつ合理的国家の存在だったと考えていたからだ。
ヴェーバーによれば、資本主義の発達に役割を果たしたのは、ルター派よりもむしろカルヴィニズムは、フランス出身の神学者ジャン・カルヴァンが創始した教派だ。カルヴァンは、ルター派など一部の教派を除き、多くのプロテスタント諸派に影響を及ぼした。
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